8人目:アルタン=ハン(1507~82)ーモンゴルの栄光を再び示した君主

モンゴル族タタール(韃靼)系トゥメト部の君主で、後「正統」ハン位に就く(位:1551~82)。モンゴルの再統一を成し遂げた。

 

0 はじめに

 

モンゴル族というと、チンギス=ハンのイメージが大きいと思います。確かに、彼の世界史への登場は、衝撃的だったと思います。ただ、そのため、それ以後のモンゴル族の動向が、今一つ見えにくいと思います。特に、孫フビライ=ハンが興した元朝が滅亡すると、世界史の表舞台からは完全に消えたように、思われがちです。少なくとも、私は、そう思っていました。それが一方的な思い込みであることは、分かっていました。それを証明してくれる存在の1人が、ここに取り上げた、アルタン=ハンです。

 

1 その勢力拡大

 

正直、彼の人となりは、よく分かりません。ただ、その軍事的行動の断片しか、知りません。

 

1507年、チンギス=ハンに連なる家系で、モンゴル高原を再統一した、ダヤン=ハン(1460~1517)の三男の孫として生まれる。父の跡を引き継ぐが、初めは、モンゴル高原東部トゥメト部の一領主に過ぎなかった。

 

1540年頃から、中国・明領にたびたび侵攻し、殺戮と略奪をくり返します。ここらへんは、先祖だというチンギス=ハンに似ていますね。ただ、明から略奪した土地に、多くの都市を築き、支配の基盤を拡大していったのは確かみたいです。1550年には、一度、北京を包囲するまでになりました。

 

1552年頃から、西方進出も推し進めます。モンゴル高原西部で有力だったオイラト部(瓦刺)を討ち、カラコルムを奪います。さらに西方のカザフや、南方の青海・チベットに侵攻します。

 

特に、チベット侵攻時には、チベット仏教黄帽派に帰依しました。そして、青海に建築した迎華寺に、第3代ダライ=ラマ(位:1543~88)を迎えました。この出来事は、モンゴル族に、同派のチベット仏教が広がるきっかけになったそうです。私には、モンゴル族というと、仏教徒という一方的なイメージがありました。それは、アルタン=ハンの影響が大きかったようです。

 

ただ、軍事的優位は、長く続かなかったようです。1570年に、彼の孫が明に投降しました。それをきっかけに、明朝と和睦し、「順義王」の称号を贈られます。これをきっかけに、彼は、明朝と朝貢貿易を行うようになります。その治世後半は、やや失意に沈んでいたようです。

 

2 彼は何者だったのか

 

いきなり、大きく出ました。でも、これだけの材料で、彼の存在を、客観的に位置づけるのは不可能でしょう。当たり前です。

 

まずは、侵略者・殺戮者としての側面ですが、これについて評価するのは難しいです。歴史上の「偉人」なんて、8割(かなり適当に言ってます)は、そうですから。

 

次に、統治者としての側面ですが、こちらでは、力を発揮したようです。先述しましたが、彼は、明朝から略奪した土地に、数多くの都市を築きました。そのうちの一つで、彼の居城でもあったフフホトは、現在中華人民共和国内モンゴル自治区の首都として残っています。彼には、破壊者だけでなく、建設者としての側面もあったのでしょう。

 

最後に、文化的側面です。彼にどの程度の文化的理解があったのかは分かりません。ただ、私から見ると、この側面が、「歴史的意義」としては一番大きいのではないかと思います。もちろん、モンゴル族に、チベット仏教を広めた影響は大きいです。

 

ただ、そこに留まらない影響があります。実は、第4代ダライ=ラマ(位:1589~1616)は、彼のひ孫なんです。あれ?都合よくない?政治的な匂いを感じるんですが。という突っ込みは置いておきます。

 

ダライ=ラマの権威を確立したのは、その後継ぎダライ=ラマ5世と言われています。そういう意味では、アルタン=ハン存命の時代には、まだダライ=ラマの権威は確立されていなかったと言えると思います。アルタン=ハン、さらにはその後に続いたモンゴル族が、ダライ=ラマ政権確立に大きな影響力を持っていただろうということは、想像に難くありません(実際、そうだったらしいです)。

 

ダライ=ラマ、およびチベットの問題は、どうなるかは分かりませんが、くすぶり続けていると思っています(私は、反中派でも親中派でもありませんが)。この問題を俯瞰する上で、アルタン=ハンおよびモンゴル族の動向は無視できないと思います。

 

もちろん、そうなってくると、チベット史の知識とかも必要になってくるので、私の手に負えないテーマになってきますが。ただ、モンゴル族が世界史の表舞台から姿を消してしまったという、勝手な思い込みは、やはり誤りなのだと思います。

 

3 最後に

 

専門的に研究しなくても、教科書をちょっと掘り下げただけで、次々と疑問が生まれてくる。特に、歴史の面白さは、こういうところにあるのだと思います。少なくとも、芸能人のスキャンダルを追っていても、こんな状態にはなりません。やっていることは変わらないのですが、芸能人のスキャンダルなんて読んだら、その場で終わりですからね。

 

「歴史上の人物」は、読めば読むほど、新しいテーマが生まれたり、別のテーマと繋がってきます。それが、専門家であることをやめた今も、「歴史」から離れることができない理由ですかね。あまりよろしくないんですが、私にとっては、たとえ「正確さ」を欠いたとしても、思考を「刺激」してくれればいいんです。それが、この「学術的価値ゼロ」の投稿を続けている理由かもしれません。