斎藤美奈子『挑発する少女小説』(河出新書033 2021/06)断片01

「はじめにー少女小説って何ですか?」

 

10代前後の少女が主人公の「現実に即した」リアリズム小説

 

児童文学であると同時に、よき家庭婦人を育てる「家庭小説」と呼ばれるジャンルに入る

 

要は、良妻賢母製造ツール

 

しかし、それらを与える「大人」たちの思惑とは外れて超ロングセラーになった作品もある。

 

それらは、ほぼ翻訳物に限る。(日本の少女小説には、ある制約があって、ロングセラーになりにくかった、と筆者は分析)

 

「1 魔法使いと決別すること バーネット『小公女』(1905)」

 

原著者バーネットは、『小公子』『秘密の花園』という別のヒット作を持つ

 

「おとぎ話に片足をつっこんだ物語」(17頁)

「近代のお姫さま物語」(18頁)

 

筆者らしい物言いが、「おとぎ話の王子さまってものは、親の威光で食ってるくせに女を容姿で判断するような男ばかりです。そしておとぎ話の姫の幸福とは、そんなろくでもない王子との結婚を意味していた」(32頁)ですね。

 

では、この物語が、今までの「おとぎ話」とどう違うのか。

 

おとぎ話の主人公は、「彼女の美貌に王子が一目惚れ」されただけ

 

本編の主人公セーラは、「逆境に負けない強い意志と毅然とした態度」と「教養」(34頁)を、隣家の「召使」が興味深く思い、自分の主人に彼女の存在を教えたこと。結果はともかく、逆境を克服する要因には彼女自身の主体的な行動が含まれているという点。

 

以上から思ったことを、箇条書き。

 

「少年」小説なる概念があるならば、「己の才覚」で人生を切り開いていく点は似ているのではないか、という気がする。

 

むしろ、大人向けの「青年」小説の方が、おとぎ話の傾向が強く残っているような気がする。女性向けで言えばハーレクイン・ロマンス、男性向けで言えば、単純な意味での官能小説?いずれにせよ、これらの物語の方が、傲岸不遜な王様や女帝などの絶対的権力者と「結びつく」ことが結末になっているような気がする。やはり、「大人向け」の方が、「リアリズム」あふれる「成長物語」は書けないからかな。「己の才覚」だけで人生が切り開けるわけではないことは、皆さん身に染みて分かっているから、逆に「リアリズム」がなくなってしまうのかもしれない。

 

私は、男尊女卑のミソジニー野郎である。だが、意外と、少女小説の系譜には、深い関心を持っている。嗜む程度には、少女マンガに触れている。また、少女小説ではないが、『ハーレクイン・ロマンス』(尾崎俊介著 平凡社新書930 2019/12)という新書を、既に購入している。およそ、男子禁制の世界のはずなのだが(むしろだから覗きたいのか?ただの覗き魔なだけか苦笑。)。