I・イリイチ著『シャドウワーク 生活のあり方を問う』(岩波同時代ライブラリー10 1990/3)

「3 ヴァナキュラーな価値」より

 

ようやく、著者の言う、「ヴァナキュラーな領域」の意味がわかってきた。頭の出来が悪いな。

 

コロンブスよりも、カスティーリャ王国(大雑把に言うと、今のスペインの母体)にとって重要な人物を取り上げていた。コロンブスが国外拡大ならば、その人物は王権の領土内浸透に重要な役割を果たした。

 

著者イリイチと言えば、大雑把に言えば、「シャドウワーク」という概念を提唱し、(特に)ジェンダー問題に、社会科学的視点から、キータームを提供した人物として有名。しかし、この論文集を少しずつ読むと、認識が変わる。彼の業績は、それだけに限定されないのではないかと、思われる。むしろ、矮小化しているかもしれない。そういう意味で、読み進めることに、結構興奮している。あえて、途中で打ち切ったけど。

 

特に、この章は、多くの示唆を得ることができた。

 

最初は、ナショナリズムの起源について。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』を読んだことがある。たしかに、かなり頷ける議論だった。しかし、どうも今一つしっくり来なかった。なぜならば、「本当の意味での」出発点が、今一つはっきりしなかったからだ。しかし、その出発点を、イリイチは、この章で示している。彼は、これを「ナショナリズムの議論」として提示しているわけではないと思うが、個人的にはしっくり来る言及だった。もっとも、「ヴァナキュラーな領域」よりかは、「想像の共同体」の方が、言葉としてはイメージしやすいとは思うが。

 

次に、言語学にも貢献するのではないかと、素人考えながら思った。「公式な言語の独占」(102頁)の始まりを指摘したこの章は、「公式な言語」によって思考される言語学に、何らかの示唆を与える(また与えている)のではないか、と考えたのだ。

 

あとは、法定通貨の問題や、近代法制史にも何らかの示唆を与える議論を提供しているのではないか、と一方的に思った。