黒川祐次『物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(中公新書1655 2002年)

0 はじめに

 

正直、この本について、読書ノートを作ろうとは思っていませんでした。ウクライナファンとしては、必読の本だとは思います。この本以外に、ウクライナについて扱った、入手しやすい入門書がなかなか見つからないからです。ただ、いわゆる概説書なので、特別取り上げる必要はないかなあ、と考えていました。

 

その考えを変えたのは、ロシアのウクライナ侵攻がきっかけです。もちろん、ロシアのウクライナ侵攻は、人道的に許されるものではないと思います。ただ、現状としては、私は、事態の推移を見守るしかできないです。傍観者でいるしかありません。そのことについては、別の項で、4000字以上使って語りました。

 

私が気になったのは、日本の報道です。様々な「プロの」専門家が、今回の事態について知見を述べています。その中で、ウクライナの歴史がちらっと紹介されますが、そのいずれも、本書すら読んでないのかと思われる「薄ぺっらい」解説ばかりです。確かに、彼らは、「ウクライナの」専門家ではないのかもしれません。しかし、仮にも、公共の電波で発言する人間が、「概説書である」本書すらチェックしていないのだとしたら、ふざけんな!という思いで一杯です。

 

少なくとも、「キエフ=ロシアの奈良京都」とか、「ウクライナはミニロシア」とかいう乱暴な括りには、頭に来ますね。それを、「権威がある」とされている番組や雑誌が行うんだからひどいもんです。私は、ただのファンに過ぎません。専門家ですらありません。ただ、そういう現状を見るにつけ、本書を読んでいるだけで、下手な「プロの」専門家よりも、ウクライナ通になれるようなので、本書を取り上げることにしました。

 

第1章 スキタイー騎馬と黄金民族

 

ウクライナの地は地政学上重要な土地であることから、古来から様々な人々が往来しました。スキタイは、ギリシアの歴史書にちらりと登場する、大帝国を築いていたらしい、遊牧民です。個人的には、スキタイにも関心があるのですが、今回は端折ります。おそらく、現在のウクライナ人とは、それほど関係がないと思われるからです。

 

ウクライナという「国家」を語るときに直面するのが、現在のウクライナと関係がある(とされる)国家の存在が歴史上見当たらないということです。次の「キエフ・ルーシ」の正統な跡継ぎ国家はロシアとされています。じゃあウクライナは?となったときに、ウクライナ人は返答に困ります。だから、ミニロシアみたいな言われ方をされてしまうんですが、それは第3章の紹介で否定しようと思います。

 

第2章 キエフ・ルーシーヨーロッパの大国

 

キエフ大公国とか、キエフ公国とか様々な呼ばれ方をします。ロシア史はもちろん、ウクライナ史にとっても重要な国家です。キエフを拠点に、東ヨーロッパに一大勢力を誇りました。何より、ビザンツ帝国を通じて、キリスト教東方正教)を受入れたことは、文化面でも大きなことだったと思います。少なくとも、ロシアは、ビザンツ帝国滅亡後、東方正教の総本山を自認することで権威付けを図ったわけですからね。

 

ただ、キエフ・ルーシまでは触れている専門家はいるので、詳しくは語りません。キエフ・ルーシは、ウラジミール聖公(位:978~1015)、ヤロスラフ賢公(位:1019~54)の時代に最盛期を迎えました。その後は、内紛が続いて徐々に国力を落としていきます。そして、1240年モンゴルのキエフ占領によって、とどめを刺されます。この後、キエフとモスクワは、運命を違えます。ピョートル大帝など傑出したリーダーを輩出したモスクワは栄え、キエフはその後塵を拝することになります。

 

ただ、本書では、1240年から100年ほど続いた、ハーリチ・ヴォルイニ公国という聞いたこともない国家の存在を指摘しています。先ほどチラリと述べた、キエフ・ルーシの正統な後継国家はどこかという論争になったときに、ウクライナ側が論拠としてあげる国家だからです。キエフ・ルーシに比べれば規模は遙かに劣るし、「世界史」から見れば取るに足らない国家かもしれません。それでも、ハーリチ・ヴォルイニ公国は、「最初のウクライナ国家」として見逃せない存在だと著者は指摘しています。

 

第3章 リトアニアポーランドの時代

 

「最初のウクライナ国家」ハーリチ・ヴォルイニ公国が消滅した14世紀半ばに滅亡してから約300年間は、ウクライナの地に代表的な政治勢力は現れなかったそうです。その間、ウクライナの地を支配したのが、リトアニア、そしてポーランドです。ウクライナ人にとっては、暗黒と空白の3世紀だそうです。しかし、ウクライナの「独自性」を語る上で、この時期は見過ごしてはならないと、著者はほのめかしています。私もそう思います。良くも悪くも、ポーランドは、ウクライナの地に「爪痕」を残しました。ポーランドを通じて、西方の文化が流れ込んだことは否定できないと思います。

 

ところで、当たり前のように話を進めてしまいましたが、ほとんどの方は、ポーランド?と思われたかもしれません。話が脱線しますが、中世ポーランド王国は、プロイセン・ロシア・オーストリアに分割されるまで、東ヨーロッパ随一の軍事国家として君臨していたんですよね。私はポーランドファンでもある(浮気者だ)ので語りたいですが、ここでは触りだけ話します。

 

1240年キエフを占領したモンゴル軍は、さらに西進してポーランドを蹂躙します。そんなポーランドに傑出したリーダーが現れます。ポーランド唯一の大王とされるカジミェシュ3世(位:1333~70)です。彼の時代に一気に復興とは行かなかったのですが、徐々に国力を回復します。やがて、ポーランドリトアニア連合国が誕生します。強敵に囲まれたポーランドが進出を図ったのが、政治的に空白だった東方の地、すなわちウクライナでした。

 

ウクライナの民にとって、本当の意味で目の上のたんこぶと言えるのは、まだ国力が充分でなかったロシアではなく、ポーランドなんです。ウクライナ人は嫌がるかもしれないけど、ウクライナの独自性を語るならば、西方からのポーランドの干渉という視点は欠かせないと思います。後で取り上げる、軍事指導者フメリニツキーが攻め込んだのも、ロシアではなく、ポーランドです。

 

ウクライナの地は、ロシアにとってはすでに「奈良京都」というよりも、京都にとっての「九州・中国地方・北陸地方」みたいな文化の流入口だったと思うんですよね。ロシアの「心の故郷」という位置づけだけでは、ウクライナの独自性を否定することになると思います。だから何だ?という感じでしょうが。

 

第4章 コサックの栄光と挫折

 

15世紀頃モンゴルの支配が緩む頃、いよいよ現在のウクライナに繋がる政治勢力が現れます。「コサック」と呼ばれる「出自を問わない」自治的な武装集団が、ウクライナの地に登場しました。ポイントは、「出自を問わない」ということでしょう。ウクライナ人=スラブ系と思われがちですが、そうではないようです。そういう意味でも、ウクライナ=ミニロシアと括るまとめ方は、乱暴だと思います。

 

この頃(も)ウクライナの地は、周辺の遊牧民による奴隷狩りの場となっていました。それでも、ウクライナの地は大変豊かであるため、移住してくる逃亡農民などが絶えませんでした。彼らは奴隷狩りに対抗するため、自ら武装して自衛に励まなければなりませんでした。彼らの中で力をつけた者が、組織を作ります。コサックの起こりです。ちなみに、大まかに言うと、彼らのリーダーを「ヘトマン」と呼びます。

 

彼らは次第に周辺を襲うようになって、恐れられていきます。そんなコサックの軍事力に目をつけたのが、ポーランドでした。コサックを傭兵として臨時的に「組織」して、モンゴルやトルコからポーランド本土を守る盾として利用したのです。彼らの軍事力は強力でしたが、独立自尊の気風が強いコサックを統制するのは困難でした。ポーランドは、コサックの「登録制」を取っていました。登録のあるなしは、コサックの間のわだかまりを作りました。

 

そのような困難な時代に登場した、最初の偉大なヘトマンが「キエフの復興者」ペトロ・サハイダチニー(在任:1614~22)です。彼は軍事的成功だけでなく、田舎町と化していたキエフの復興に乗り出します。彼が創設した団体は、「キエフ・モヒラ・アカデミー」という東方正教教育機関に発展していきます。この教育機関は、やがてウクライナのみならず、ロシアで活躍した多くの人材を輩出していきます。

 

コサック勢力を上手に組織して、最大の軍事的成功をもたらしたのが、53歳の「遅咲きヘトマン」ボフダン・フメリニツキー(在任:1648~57)です。著者ははっきりと書いていないのですが、フメリニツキーは、やや異端のヘトマンでした。語学力に優れ、演説上手。外交手腕も兼ね備え、新たな時代の国家を築くのに充分な資質を備えていました。時代も味方しました。彼は、ポーランドに対して反乱を起こし、ポーランド領内深くにまで軍を進めます。ポーランドの王都ワルシャワに迫ったところで、彼は謎の撤退をします。そのため、フメリニツキーの蜂起は、大事件とはなりませんでした。

 

いずれにせよ、キエフに凱旋したフメリニツキーは、半独立国家となった「ヘトマン国家」を率いることになりました。しかし、体勢を立て直したポーランドを始め、様々な勢力との争いに直面することになりました。それは、敵と味方が目まぐるしく変わるものでした。その中で、フメリニツキーは、後の彼の評価を左右する「ある」同盟を結びます。それが、まだ強国とは言いがたかったモスクワとの保護協定です(まだ、ピョートル大帝が登場していません)。この協定は、事実上後のロシアによるウクライナ併合の始まりとなりました。

 

次に紹介する、詩人タラス・シェフチェンコは、フメリニツキーを裏切り者と罵っています。その評価については、ここで置いておきましょう。実際、ウクライナの地で、彼ほど軍事的成功を収め、曲がりなりにも「ヘトマン国家」という半独立国家を実現させた人物は、この後現れていません。ただ、彼には、時間がなかったです。53歳でヘトマンになり、10年経たぬうちに亡くなっています。「独立国家」ウクライナの実現には、さらに300年以上の時を待たなければなりませんでした。

 

この後、マゼッパというさらに変わり種のヘトマンがいますが、今回は端折ります。彼は、ロシアのピョートル大帝とつばぜり合いを繰り広げました。しかし、彼は破れ、ウクライナの地が「小ロシア」として併合されることは、もはや避けられない運命となりました。

 

第5章 ロシア・オーストリア両帝国の支配

 

ここまででかなり字数を割いてしまいました。概説書の内容を、手短にまとめるのって、難しいんですよね。私としては、ウクライナ史に決定的な影響を与えた重要なプレイヤー、ポーランドを紹介できただけで満足です。今回は、ここ以降は、なるべく端折っていこうと思います。

 

この章は、ウクライナの地が、ポーランドに変わり台頭したロシア帝国と、オーストリア帝国に支配されるようになったというだけの話です。ここで、取り上げるべきなのは、2つです。

 

一つ目は、ウクライナナショナリズムが、特にロシア帝国内で芽生えてくるということです。その中で登場してくるのが、ウクライナ文学史上最大の詩人とされる、タラス・シェフチェンコ(1814~61)の登場です。彼の登場により、ウクライナ語は、初めて高度な内容、複雑な感情を表現できる、独自の地位を得ました。軍事的英雄がフメリニツキーならば、文化的英雄は間違いなく彼でしょう。もう一つは、困窮したオーストリア領内の農民たちが、アメリカやカナダに新天地を求めるようになったことでしょう。現在、両国では、ウクライナ系移民が多く活躍しています。

 

第6章 中央ラーダーつかの間の独立

 

第一次大戦は、それまでのヨーロッパの秩序を大きく変えました。ウクライナに関していうと、ロシア帝国オーストリア帝国の崩壊でしょう。両帝国の崩壊により、ウクライナはつかの間の、歴史的には初めての独立を果たすことになります。ここについては、ある理由があって、別の記事でお話ししたいと思います。ざっくりまとめると、お決まりの内紛とリーダーの不在、周辺国、特にレーニン率いるボリシェビキの介入が、ウクライナのつかの間の独立を、崩壊に導きました。

 

第7章 ソ連の時代

 

軽視するつもりはありませんが、省略。ウクライナの地は、ソ連ポーランドルーマニアチェコスロバキアの4カ国に分割統治されることになりました。民族自決を謳ったヴェルサイユ条約も、ウクライナには適用されませんでした。

 

第8章 350年間待った独立

 

ウクライナは、1991年に独立を果たします。ソ連崩壊後に独立したというのは、正確ではありません。ウクライナが独立したことが引き金となって、ソ連は崩壊したというのが正確です。そういう意味では、「ウクライナが裏切ったからソ連は崩壊したのだ」という怒りが、プーチン氏の心の底では燃えているのかもしれませんね。

 

第9章 独立後30年

 

こういう章は、本書には存在しません。ただ、ウクライナにとっては困難な現在だからこそ、第9章は誰かが書き継ぐ必要があるのかもしれません。ウクライナの現状を見て、私は、ウクライナ語を学びたい衝動に駆られています。タラス・シェフチェンコ氏の詩を原語で読んでみたいですね。まあ、飽きっぽく、いい加減な私のこと。明日には、忘れているかもしれません。

 

いずれにせよ、私としては、本稿を通じて「小ロシア」でないウクライナをお伝えしたつもりです。ウクライナの歴史を語るのに、少なくともポーランドの存在を語らない「専門家」の意見を、私は1ミリも信じていません。彼らは、ウクライナのことを知らなすぎです。20年以上前に出た本書だけで、ド素人の私でもここまでわかるのに、彼ら「プロの専門家」は、何を語っているんでしょうかね。ホント、ふざけていると思います。

 

ちなみに、著者である黒川祐次氏は、元ウクライナ大使でありますが、専門の歴史家ではありません。そういう意味では、彼もド素人です。しかし、複雑なウクライナの歴史を、ポイントを押さえてまとめていると思います。感謝します。

 

余談ですが、独立ウクライナ最大の英雄、サッカーのアンドリー・シェフチェンコ氏とタラス・シェフチェンコ氏は何か関係があるんですかね。本当にどうでもいいけど。