勉強は役立つのかどうかー井筒俊彦『意識と本質ー精神的東洋を索めてー』(岩波文庫)Ⅻ読後

0.はじめに

 

勉強は役立つのか?正直、個人的には、どうでもいいです。あくまで、個人の価値判断に任せればいい、と思っています。ただ、先ほどの読書で、私なりの見解が一つ、浮かんできました。以下では、それについて述べます。長旅なので、撤退するならば、今のうちです。

 

1.孔子の「正名論」(p298~)

 

本の内容は、私には難しすぎる(おい!)ので、割愛します。そもそも、私には、儒学的素養は一切ありません(おい!)。だから、孔子の「正名論」が、いかなる考え方なのか、全く知りません。

 

まあ、井筒先生独自の「孔子観」は少し齧ることができたかもしれません。井筒先生は、孔子の「正名論」を皮切りに、孟子荀子、さらに『易経』まで言及しています。ただし、なぜそうなるのかは、私にはよくわかりません(おい!)。

 

ここで言えることは、井筒俊彦氏が、自らの議論を進める上で、孔子の「正名論」を取り上げたことです。

 

2.読書中の私の心象風景

 

私は、長年儒教に対して、かなり感覚的な偏見を持ってきました。「仁義礼智信?はっきり言って、鬱陶しい考え方だな。却下」という感じです。ただ、井筒先生なりの解釈を聞いていると、そういう考え方は、やはり偏見かもしれない、と読書中に思い直しています。

 

ここで、語りたいのは、なぜ、どういう点が偏見だったのか、という分析ではありません。この偏見は、いつ頃からあったのか?という思い出話です。

 

すると、もう30年以上前(!)、中学1年生に遡りました。私は、某私立中高一貫校に通っていました。一応、卒業まで辿り着いています。それはさておき、他の私立中高一貫校もそうなのでしょうか、我が母校でも、テキストは、独自の教材を使っていました(うん?オフレコなのかなあ?)。「現代国語」を担当したS先生もまた、そうでした。

 

詳しくは、教材もノートも残っていなく、忘却の彼方です。ただ確かなのは、S先生が私達中学1年生に用意した教材が、「中国古典」だったことです。私が受けた中国古典の授業は、乱暴に言って「この時のみ」でした。私の「儒教嫌い」は、間違いなく、ここに起源があります。そう考えると、「忘却の彼方」だった中学1年生時代が、朧気ながらよみがえってきました。

 

3.中学1年生「現代国語」S先生の授業

 

記憶は、かなり断片的になります。なぜ、S先生が、「現代国語」で「中国古典」を取り上げたのか、は全く分かりません。ただ、今でも「臥薪嘗胆」や「鶏口牛後」などの故事を読んだことは、内容は抜けていますが、憶えています。いや、正確には、思い出しました。

 

ただ、もちろん、それ以外にも、中国古典となっている「エピソード」は読んだはずです。その中には、中国のいわゆる「諸子百家」についての「エピソード」も、たぶんあったはずです。乱暴に言えば、「諸子百家」とは、中国思想の源流となる思想群です。それがたくさん生まれたので、総称してそう呼んでいるということです(百個あったという意味ではない)。

 

当然?、儒教がその代表です。ここまでは、当時、一緒に学んだ学友と「共通した」経験だと思います。しかし、次に語ることは、完全に「私個人の」「内面的体験」です。記憶する限り、このことを、学友に正面切って語ったことはありません。初めて語ります(だから何だ?)

 

4.無為自然を知る

 

「乱暴に言えば、儒教の対抗馬とされる」道教の考え方の一つです。この言葉が、授業の中で、どのような形で取り上げられたかは、完全に忘却の彼方です。思想史の一環として取り上げられたのかもしれないし、道教の代表的な古典『荘子』の1節を読んだのかもしれません。

 

無為自然

 

私は、この言葉に、大変惹かれました。私の理解が正しいかは、ここでは脇に置いておきます。私は、この言葉こそ、私の座右の銘だと思い込みました。それに比べると、「仁義礼智信」とか言っている儒教なんてダサいな、と一方的に思いました。そう、私の「儒教嫌い」とは、「道教好き」の裏返しなんです。そんな30年以上前の自分が、朧気ながらでも「確かに」よみがえってきました。

 

一応断っておきたいのは、S先生は、儒学を貶めるような発言は、一切していません。それは、確かです。私が「一方的に」「儒学嫌い」となっただけです。

 

5.井筒俊彦氏との出会い(もちろん、書物を通じて)

 

では、一旦思い出話から、現在に戻りましょう。

 

私がこの思い出話から思ったことは、私が「井筒俊彦びいき」になるのは、運命というより必然だったのだな、ということです。なぜならば、井筒俊彦氏の「英文での」主著は、若松英輔氏によれば『スーフィズム老荘思想』だそうです(「日本語での」主著は、副題になっている『意識と本質』だそうです)。「老荘思想」とは、乱暴に言えば「道教」のことです。そう考えると、私が、読んでも理解できないくせに、井筒俊彦氏の著作に行き着いたのは、必然だったと判断せざるを得ない。そういう考えを抱きました。

 

かなり、先を急ぎ過ぎましたね。少し、時代を巻き戻してみましょう。大学時代、私は、「乱暴な言い方をすればイスラーム地域史」を専攻に選びました。理由は、単純です。「中国=儒教=興味ない」「西洋=キリスト教=興味ない」という図式が、頭の中にあったからです。「日本史」でなければ、残るは「イスラーム地域」しかないという「偏見に満ちた」消去法です。

 

そんな「いい加減な」理由だったので、研究に行き詰まりました。理由は、イスラーム地域史の先行研究に全く興味がなかったことです。今もそうですが、私は、イスラーム地域史を研究している先生の名前を、ほとんど知りません。その状況で、よくもまあ、「イスラーム地域史」を専攻するだなんて、思いついたものだと思います。私が狂っていた(今も?)のは、確かなようです。

 

ただ、一応、イスラーム地域史を専攻する以上、『コーラン』は必読だなと考えました。で、手にしたのが、井筒俊彦「訳」の『コーラン』(岩波文庫)でした。正直、本文は意味不明で、ほとんど読んでいません(おい!)。ただ、井筒先生の「あとがき」は個人的に読みやすかったです。そこで、「井筒俊彦」という名前は、インプットしました。

 

6.スーフィズムを知る

 

私が「当時」キリスト教嫌いだった理由は、儒教に抱いた「偏見」と似ています。ローマ教会の「科学への圧力」に、ダサいモノを感じていたからです。ガリレオ・ガリレイのエピソードが、その代表です。

 

では、「当時未知だった」イスラム教はどうなのだろう?という興味がありました。結論から言えば、失望でした。儒教キリスト教以上にうるさいぞ。特に、神学者とか法学者とかいう奴は杓子定規だな、と「決めつけ」ました。その中で、スーフィズムなるものがある、と知りました。

 

スーフィズム

 

イスラーム神秘主義、などと訳されます。その訳が正確かは、脇に置いておきます。「無為自然」以来、私のアンテナが、激しく反応しました。その後の紆余曲折については、本題から外れるので、ここでは省きます。いずれにせよ、私の中では、「無為自然」と「スーフィズム」が、自然と、いや「自分勝手に」結びつきました。

 

ただ、改めて言いますが、「スーフィズム」と「老荘思想」とは、表向きは何の関連もありません。私が勝手にそう思っただけです。両者を結びつけるということは、強引に例えると、大谷翔平選手(野球)とメッシ選手(サッカー)、どちらが偉大な選手か、問うようなものです。そもそも、「ルール」が違うのです。しかし、その「一見関係ない」両方を、同じまな板に乗せて語るという「暴挙」を成し遂げ、さらには高い評価を受けたという先達がいる、という事実は、私の心にまぶしく写りました。

 

ただ一つ付け加えると、ここまで称賛していますが、私は、英文の『スーフィズム老荘思想』は未読です。そもそも、卒業する前は、そのような著作があるのを知りませんでした。卒業後、先ほど触れた、若松英輔井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)を通して、という体たらくです。ただの受け売りです。本当に、私は、研究に大事な「リサーチ能力」が決定的に欠けていますね。

 

7.ようやく本論

 

長い旅?になりました。私の意識は、井筒俊彦氏が孔子の「正名論」を取り上げたことから始まり、中学1年生、さらには大学時代にまで、遡りました。300ページ超えの本文の一節から始まったにしては、ずいぶんと回り道をしました(ただ、くどいだけですね)。

 

そこまで、回り道をして語りたかったのは、学生時代の勉強もまた、私にとっては「思い出である」ということです。そして、その「思い出」を通り抜けてみると、私が井筒俊彦『意識と本質』を読んでいるのは必然である、と心から感じることができた、ということです。漫然と生きていると、自分を見失いがちです。今回は読書がきっかけでしたが、30年以上前に遡り、自分の原点を思い出すという内面的体験は、貴重なものでした。あの原点があって今自分は存在している、という繋がりが意識できたからです。

 

自分には、自分なりの意義がある。

 

そう思えることは、とかくネガティブに走りやすい私の心を、内面から勇気づけるには、十分すぎる力がありました。そういう意味では、「思い出にすぎない」学生時代の勉強であっても、使い道はある、と言えます。

 

もちろん、分かりやすい成果に結びついたわけではありません。また、習った内容「そのもの」を思い出したわけでもないです。その段階では、「勉強は役立つ」と証明できたわけではありません。しかし、「勉強した」という思い出は、その人物にとって、思いがけない「意味」をもたらすかもしれないと言ってよいかもしれないですね。特に、今回の私みたいに、記憶の奥底からよみがえった時には、それが顕著なのかもしれません。

 

8.おわりに

 

何か、結論が、かなり尻切れトンボになってしまいました。構想段階では、もう少しはっきりとした論旨のはずでした。しかし、いざ書き出すと、次々と語る内容が増えてしまいました。見込み、1000字程度だったはずだったのですが、おかしいですね。私には研究能力がなかったことは、はっきりと証明してしまいましたね。