4人目:アッバース1世(1571~1629)ーイラン人の誇りを取り戻した、苛烈な君主

イラン、サファヴィー朝(1501~1736)の第5代シャー(国王)(位:1587~1629)。内政外交を整え、同王朝の最盛期を演出した。

 

アッバース1世に関しては、英文訳で、唯一だという?本格的な自伝が出ていました。ただ、大著なため、値段が高く、当時(今も)手が出ませんでした。それを未読な以上、多くを語れません。彼の国王としての偉業は、ウィキペディアにお任せするか、彼が建設した王都イスファハーンをご覧いただければ、十分だと思います。

 

あえて、ここで取り上げる理由は、彼が、古代から綿々と続く、ペルシア帝国の栄光を内外に示した「最後の」王であると言えるということです。現在のイラン政府がなぜあんなにかたくななのか、好き勝手に語れるのではないかと考えているからです。

 

1.勝手に、古代ペルシア帝国史を猛スピードで語る

 

アケメネス朝(前550~前330)は、年代的に言えば、中国秦帝国の統一(前247年)よりも古いです。中国ウン千年と言いますが、イラン人からすれば、中国人すら「新参者」という感覚じゃないでしょうか。「歴史で」中国を見下すことができる、唯一の存在がイランなのではないでしょうか(それが意味のあることなのかはともかく)。その後も、パルティア(前248頃~226)、ササン朝226~651)と、大帝国がイラン高原には君臨しました。その栄華?が、突然終わりを告げます。

 

※1については、青木健『ペルシア帝国』(講談社現代新書)で詳述されていると思います。早く読みたいのですが、他にも読みたい本がたくさんあって……。

 

2.イスラーム勢力の支配下に入る

 

642年、ニハーヴァンドの戦いが発生。ササン朝軍は、新興のイスラーム軍にまさかの敗北を喫します。間もなくして、ササン朝は滅亡します(651年)。こうして、イラン高原は、イスラーム勢力の手に落ちます。ここから、イラン人の「ねじれた」歴史意識が始まると言っていいでしょうか。単純すぎる?やっぱりそうかもしれませんが、話を進めます。

 

明らかに格下だと思っていたイスラーム軍、もといアラブ軍に負けたことは、イラン人にとってショックだったでしょうね。イラン人自身は根絶やしにされたわけで当然ないです。イスラム教を受容し、君主はともかくとして、政治家・官僚・文化人として、イラン人は活躍の場を持ちました。それでも、あの栄華を誇ったペルシア帝国の記憶は、隅に追いやられました。

 

※一時的にはペルシア系の王朝も誕生したが、いずれも短命に終わっています。

 

3.東から次々と「侵略者」がやってくる

 

大きく省きますが、イスラム教受容後しばらくは、「比較的」平穏な時代が続きます。実際は、いろんな王朝が興亡し、「平穏」は正確な表現ではありませんが。今度の「侵略者」は、次々と東から襲来します。まずは、トルコ系。いわゆるセルジューク朝が東からやってきます。次に、モンゴル系。チンギス=ハンの子孫の一人、フラグが、イル=ハン国を建国します。その後も、中央アジアからティムールが侵略してくるは、シャイバーン朝は攻めてくると、「民族的には」苦難の時期を迎えます。

 

4.ようやく?サファヴィー朝(1501~1736)まで話が進む

 

そこに現れたのが、若き君主イスマイール1世(位:1501~24)でした。彼は、即位後10年ほどで、イラン高原全土を手中に収めます。彼は、王を意味するシャーを名乗り、ササン朝以来絶えていた、ペルシア帝国の復活を宣言します。しかし、好事魔多し。イスマイール1世は、オスマン朝セリム1世の軍に大敗を喫してしまいます。それ以来、彼から熱は冷め、政治から距離を置くようになりました。建国しばらくして、初代がこの体たらくなので、国家存亡の危機に瀕してしまいます。

 

5.そこに登場したのが、アッバース1世(大王)だったわけで

 

彼はまず内政を整えます。特に、軍事改革を行いました。その結果、目の上のたんこぶだったオスマン朝との抗争を優位に進め、アゼルバイジャン地方を回復します。当方でうるさかったウズベク族の侵入を阻止します。新参者ヨーロッパ勢力との交渉も有利に進めます。ポルトガルからはホルムズ島を奪還し、オランダ・イギリス・フランス各国とも友好関係を結びます。サファヴィー朝というか、ペルシア帝国の威光は、彼の時代に、内外に対して、最後の輝きを見せたと言ってよいかもしれません。

 

6.イスラーム勢力に負けるのも悔しいけど…

 

サファヴィー朝は、彼1代で長持ちした王朝といっていいかもしれません。サファヴィー朝滅亡後、何人かの英雄が現れましたが、長続きしませんでした。いずれにしても、ヨーロッパ勢力という新興勢力には、いいように遊ばれました。イスラーム勢力とは違う異教徒にすら、ほとんど歯が立ちませんでした。またまた、イラン人の歴史認識は、ねじれていくことになります。

 

7.イランとは「中東の中国」である

 

結局、現代のイランまで、話をつなげませんでしたね。そもそも、論拠なしで話を進めていますし、他のとても重要な要素を語っていません。特に、シーア派信仰について触れていないのは、決定的でしょう。ただ、それを語っちゃうと、私の実力では、収拾がつかないので、勘弁してください。

 

いずれにせよ、イラン人は、自分たちの歴史(もちろん、それだけじゃないけど)に誇りを持っています。完全に別物といってもいいんですが、古代ペルシア帝国の末裔であることに誇りを持っています。それは、日本人が考える以上に深いでしょう。どうも、日本人は、イラン人がいかに自らの歴史に強い誇りを持っているのか、知らないところがある気がします。多少学んだ私ですら、この程度しか語れないのが、その証拠だと思います。

 

アッバース1世は、つかの間であるけど、栄光のペルシア帝国を復活させた。そういう意味で、アッバース1世は、現代のイラン共和国につながる基盤を築いた人物だと言えると思います。現在のイラン政府は、「がきんちょ」アメリカや中国がでかい顔をしていることにいらだっている。そういう側面もあるのではないでしょうか。本当かどうかは知らないけど。無責任の極みを報告したところで、本稿の結びとします。