Daigo『超戦略ノート術』(Gakken 2021/8):私が五流以下の人間であることをさらけだしてしまいました。

「未」読書ノート。

こういうカテゴリーは、以前から考えていました。

本がたくさん出るのに、ついていけません。

また、意味不明な題名も多いので、それらをまるで読んだかのように一方的に書評チックなものを記そうかなと思っていました。

 

それが、まさかこんな使い方をするとは、思っていませんでした。

私がいかに知性が欠けた、五流以下の人間であることを宣言しなければいけないとは。

先月、私が購入した10冊のうちにありましたよ。彼の本が。

彼のような人物の本を購入してしまうとは、私の知性の低さを表しているとしかいいようがありません。

 

今回の話題について、「未」読書ノートというカテゴリーに即して語りたいと思います。あまり気が進みませんが。

ちなみに、私は、件の発言については、断片的にネットで読んだだけだとは、一応述べておきます。

そのため、私自身の書き込み自体に、ある種の偏見が入っている可能性があることは、否定できません。

 

個人的には、差別「意識」は、誰にでもあると思っています。

社会で生きる以上、ある特定の人びとに対して、何らかのバイアスを持つことは避けられないと思います。

差別「意識」を持つこと自体は、人間であることの宿命ではないかとも思っています。

問題は、「発言」したり「実行」して、表に出すことです。

そして、その結果、何らかの影響を他人に及ぼすことです。

 

回りくどくなりましたが、著者は、そこそこ影響力を持っている人物であり、件の発言は許されるものではありません。

ただ、その道義的問題については、ここでは詳しくは触れません。

私がここで触れたいのは、彼が「知的な」人物であると思ってしまった、自分の見識の低さです。

著者が「知的な」人物であると判断したからこそ、本書を通じて「ノート術」を磨きたいと思ったからです。

著者の書き込みは、はっきり言って、彼の「知性が」決定的に欠けていることを示しています。

そして、私の「知性が」それ以上に低いことも露呈してしまいました。そんな人物が提唱するノート術の本を購入してしまったわけですから。

 

著者の書き込みを、記事を読んだ限りにおいて、以下のように解釈しています。

 

自分は猫の保護の必要性を感じており、生活困窮者支援に税金が使われることは納得ができない。

 

一体なぜ、「猫」を引き合いに出して、生活困窮者支援の不要性を訴える必要があったのか、私には全く分かりません。

この発言がいかに問題あるか、書き込む前に分からなかったことが、私には驚きです。単純に図式化すれば、猫>人間(生活困窮者)と言っているのですから、これは差別意識云々以前の問題です。

 

私には厭世的で人間嫌いの面がありますが、少なくとも猫>人間という考えは持っていません。

 

もっとも、ペットを猫かわいがりする姿を見せつけて、自分の人間性をアピールする人間は嫌いですが。

猫には猫の世界があると思うので、それを人間の都合で捻じ曲げる人間が好きになれません。

私は猫という不可思議な生き物は好きですが、私が猫など生き物を飼うことはないでしょう。

 

脱線しました。繰り返しますが、猫を引き合いに出して、生活困窮者支援を批判する、著者の「発言」の意図が全く理解できません。

そういう発言をすれば炎上するであろうことは、「並の」知性を持っていなくても分かるでしょう。

こんな書き込みをしてしまう時点で、彼の知性が「並以下」であることははっきりします。

そして、そんな彼の本をありがたがって購入した私は、「それ以下の」知性しかない人間であると断言できます。

 

一応付け加えると、私は、猫など動物を支援することそのものには、反対ではありません。

悪質なブリーダーやペットショップ、無責任な飼い主など、人間によって傷つけられた動物もいます。そういう動物に対しては、人間が責任を持って傷が癒えるように支援する必要があると思います。

 

いずれにせよ、本書は、10円でもいいので、ブックオフに売ろうと思います。

他にも欲しい本はいくらでもあったのに、なぜ本書を選択してしまったのか、大変悔やまれます。

自己啓発本だとか、ビジネス書の「目利き」は難しいですね。

著者の評判が定まっていないばあいが多いですからね。

というのは言い訳ですね。結局は、私の「目利き」が論外だったという証でしかありません。

 

ただ、いつも思うんですけど、こういう発言を聞くたびに、そんなに税金の使い道が不満だったら、立候補すればいいだけだと思うんですけどね。