1人目:アウラングゼーブ(1618~1707)ー政治家の評価って、何なのでしょうかね?

まずは、50音順で、最初に、彼を選びました。誰?という方々がほとんどでしょう。北インドムガル朝第6代皇帝(位1658~1707)です。それ以外、私も詳しくは知りません。

 

最初からそれかい?という感じかもしれません。いいんです。あくまで、このコーナーは、「歴史上の」人物について、週刊文春的に、あることないこと、事実誤認も気にせず、「非」学術的に、一方的に語るコーナーなので。

 

言い訳はこのくらいにして、本題に行きます。

 

1.アウラングゼーブの個人的な資質について

 

「厳格なイスラームスンナ派の信仰」を持っていた

「アラビア・ペルシア・トルコ諸語に通じ」ていた「高い教養」

イスラーム神学への造詣も深く、一生のうちに数度『コーラン』を筆写」したと言われる

「勇敢・勤勉・質素な生活に終始した」

 

あれ?すごくない?最初の要素はともかく、これだけの資質を持っていた人物なんて、王・皇帝に限っても、古今東西ほとんど見当たりません。はっきり言って、我が国問わず、世界中の政治家に見習わせたいぞ。

 

しかも、彼は、あのクソ暑いインドで、齢90歳近くまで生き抜き大往生。50年近くの治世を全うしました。それならば、さぞや偉大な皇帝なんでしょう⁉と思われるかもしれません。答えを言うと、違います。

 

2.アウラングゼーブの皇帝としての評価

 

治世前半は、「貴族の信頼が厚く」「北インドの経営・国内体制の確立に成果をあげた」

治世中盤は、反乱の発生を機に、デカン(簡単に言うと、南インド)遠征に乗り出し、「ほぼ全インドを支配して帝国の最大領土」をもたらす。しかし、ありがちだが、「うちつづく戦争で財政が悪化」し、長期不在にしていた「北部・中部インドの治安が」乱れた。

治世後半においては、「イスラームシーア派ヒンドゥー教徒」など国内諸勢力の不満が噴出し、皇帝の権威は「地に落ち」、「帝国の弱体化」が急速に進んだ。

彼は、「疲労困憊して」「苦悩のうちに没した」

 

長くなったので少しまとめると、治世前半はうまくいっていたが、治世後半は惨めなものだった、というところですかね。実際、彼の死後、ムガル朝はデリー周辺を抑えるのがやっとという一地方政権になり下がります。皇帝とは名ばかりの存在になります。

 

要するに、アウラングゼーブは、帝国を一気に崩壊させた、はっきり言えば「無能な」皇帝として、世界史教科書には登場します。あれれ?彼は、個人としては「立派な」資質を有していたんじゃなかったっけ?

 

3.アウラングゼーブの失敗の要因

 

その通りです。それについては、次のように説明されます。彼は、確かに信仰心の熱い人物ではあったが、「厳格」すぎた、要は頑固すぎたため、微妙なバランスで成り立っていた国内の「諸勢力との協調」を欠いた、と。それは、間違いではないでしょうね。ただ、私が強調したいのは、そこではありません。

 

4.「立派な」個人=「立派な」統治者、とは限らないという矛盾

 

ようやく本題です。彼は、個人としては「立派すぎる」くらいの資質を持ち、終生その姿勢を崩すことはありませんでした。もちろん、彼は、清廉潔白というわけではありません。その即位からして、病気を理由に父を監禁して帝位を奪い、ライバルだった兄弟を排除していきました。彼の手は、例外なく血にまみれています。ただ、このような帝位争いは、ムガル朝に限らず、洋の東西を問わず見られることです。彼が特別悪人というわけではありません。

 

しかし、その「立派な」個人的資質とは反して、統治者としては「無能」の烙印を押されている。この矛盾ですよね。先ほども述べましたが、アウラングゼーブのような資質を持った人物が現在いたら、かなりの支持を集めると思います。しかし、彼が50年余りの治世で築いたものは、「帝国の瓦解」であったという皮肉。やりきれない思いでいます。

 

5.結びに―アウラングゼーブから学べること

 

①「立派な」為政者=「立派な」個人、ではないこと

 

私は、政治家とか上に立つ人間に対しては、極めて厳しいです。個人的資質を見ている限り、「税金を支払いたい」政治家など、与党野党を問わず、1人もいません。だからと言って、その判断が正しいとは限らない、ということです。

 

政治を回すのに、「個人的資質」はあった方がいいけど、それだけではないということでしょうね。私の性格からして、これからもリーダーたちの行いを揶揄し続けるでしょう。しかし、それは、一面的評価に過ぎないという視点は念頭に置く必要があるでしょうね。人間の集団を動かすのは、かくも複雑怪奇なこと。もはや、業に近いものですね。

 

②「厳格な」「芯のある」「強い」リーダーって必要なのか

 

アウラングゼーブは、「勇敢・勤勉・質素」で当初は「貴族の信頼が厚い」皇帝でした。しかし、「厳格すぎた」ために、しだいに国内の分裂を招いてしまった。このことは、現在にも当てはめることができると思います。

 

洋の東西を問わず、「強い」リーダーが求められています。実際、「強いリーダー像」を体現したようなリーダーが、洋の東西には溢れています。誰とは、あえて言いません。ただ、彼・彼女に熱狂的に従った先にあるものは何か、今一度考える必要があるのではないでしょうか。短期的には最高の気分でしょうが、夢から覚めた時に何が残るのか、アウラングゼーブは示してくれているような気がします。

 

6.付け足しーアウラングゼーブを擁護するならば

 

いきなりですが、インドが、「今現在のインド」であった時期は、長いインド史の中でも、ごくわずかです。インドを初めて統一したのは、イギリスだと言ってもいいかもしれません。それくらい、現在のインドは、「分裂していた」時期しかないんですよね。そういう意味では、ごく短期には終わりましたが、一時的に「現在のインド」領の大半を手に入れたアウラングゼーブ。それは、少なくとも、彼の治世の前半期が成功であったことの証であったと思います。なぜならば、イギリス領インド帝国成立以前に、南北インドを軍事的に手中に収めた君主など、彼以外にはほぼ皆無なのですから。