2人目:阿久悠(1937~2007)―感性を磨き、新たな時代を歩む

50音順でいくと、次に語りたいのが、阿久悠先生です。昭和のヒットメーカーである阿久悠先生の作品は、個人的には大変印象深いです。だから、あなたの趣味は古すぎ、と時々からかわれます。大好きなカラオケでも、そこに理解がある人がいないと、ちょっと入れづらいんですよね。

 

とはいっても、阿久悠先生については、私が語るまでもなく、多く語られています。今さら、全く関係のない私がそれらしく語っても、仕方がないと思います。そういう意味では、個人的には、お名前を強調したかっただけです。あえて言うならば、自分のオリジナルとは何か、模索するときに、阿久先生の考え方はヒントになるのではないか、と思います。

 

1.作詞家憲法第1条

 

阿久悠先生は「作詞家憲法」というものを作っていらっしゃいました。その第1条が、ファンの間では有名な「美空ひばりによって完成されたと思える、流行歌の本道とは違う道はないものであろうか」です(違っていたらごめんなさい)。阿久先生は、この一見狭いと思われる道を入り口に、様々な詞世界を生み出しました。その多彩なことは、ウィキペディアでも見てください。

 

言いたいことは、自分の目の前にそびえる「壁」は何なのか、を正確に把握すると、自分が歩むべき道が見やすくなる、ということですかね。もちろん、一心不乱に、自らの力を高める必要はあります。しかし、目の前にそびえる「壁」が何かを見極めると、「効率的に」自分の能力を磨くことができるのではないか、と思います。正直、私は、「効率的」という言葉は嫌いですが、こういう意味ならば、悪くないと思います。

 

阿久悠先生にとって「壁」とは、美空ひばりさんであったということです。一応付け加えておくと、阿久悠先生自身は美空ひばりさんを敬愛しており、敵視など全くしていません。ただ1人の作詞家として仕事に臨んだ時には、美空ひばりさんが体現していた「流行歌の本道」を強く意識せざるを得なかったということなのでしょう。結局、阿久悠先生が、敬愛する美空ひばりさんに直接詞を提供することはありませんでした。

 

2.今度は、阿久悠先生自身が「壁」になってしまう

 

こうして、阿久悠先生は、斬新な詞世界を生み出し、数々のスターを育てました。しかし、それは皮肉なことに、阿久悠先生の詞世界もまた「流行歌の本道」になってしまったことを意味します。それを、「次世代の方々」がどのくらい意識していたのかどうかは、私の知るところではないです。いわゆる「阿久悠」的世界観とは異なる感性を持った作詞家ないしはシンガーソングライターが登場してきます。

 

山口百恵さんは、阿久悠先生が全く関わっていない大スターです。作詞家としては、阿木燿子氏はもちろん、さだまさし氏、谷村新司氏らです。女性という意味では、荒井由実氏、中島みゆき氏らニューミュージックと言われる音楽を体現するシンガーソングライターが台頭します。また、象徴的なのが、沢田研二氏が、コピーライター糸井重里氏と組んでヒット曲『TOKIO』を出したことですかね。

 

先ほどは挙げませんでしたが、松本隆氏の台頭もありますね。1980年代のアイドルブームは、楽曲面では、彼とユーミン(いつ結婚したのか忘れたので、ユーミンと呼んでいます)のコンビが引っ張りました。そこに、挙げていけばキリのない作詞家・作曲家が登場して、しのぎを削っていきます。作詞家阿久悠先生の活動の幅は、急速に狭まっていきました。阿久悠先生が「自分の身の回りのことしか歌わない」シンガーソングライターに対しては、批判的だったことは、ここでは置いておきましょう。

 

3.強引に結論-「歴史を学べ」の本当の意味

 

阿久悠先生を敬愛していると言いながら、何か寂しい文脈の流れになってしまいました。いずれにせよ、阿久悠先生が教えてくれるのは、自らの「壁」を意識して、自分の感性を磨け、ということですかね。

 

私にとっては、これこそ「歴史を学べ」という格言の本当の意味ではないか、と思います。自らの「壁」が生まれた「歴史」を知ることができれば、その「壁」が何なのか、具体的な姿が明らかになると思います。その「壁」すなわち「本道」とは異なった道を見出す感性を、「歴史を学」ぶことから育てることができるのではないでしょうか、と強引に結論づけてみました。もちろん、自分そのものを磨いていないと、その「新しい」道を歩くことはできません。

 

もっとも、自分の感性を磨かず、歴史を学ばない、私が偉そうに言えた義理ではありませんね。それすら無視して、「一方的に」語るのが、本シリーズの意図です。