6人目:アベ・フトシ(1966~2009)ー天に召された「唯一無二の」ギタリスト

0 まずはじめに

 

このシリーズを続ける難しさは、ひとえに私の能力不足と勉強不足によるものです。ただ、私の胸を熱くした多くの「歴史上の」人物たちを紹介したいという、自分の感情「のみに頼った」使命感(?)があるだけです。つまり、このシリーズは、そのような私の「精神的英雄」たちへの、一方的な「ファンレター」みたいなものなのです。そのような「思い込み」以外に、自分の能力不足・勉強不足を露呈するような文章を広く公開する意味はありません。

 

ただ、大学に入って歴史の授業をやや専門的に受けましたが、確実に言える範囲というのは、意外と狭いのだということを感じました。教科書に書いてあることですら、ひっくり返ることがあることは、皆様もご存じだと思います。前回ご紹介した、アブド・アッラフマーン1世については、どの程度専門的な研究が存在するのかすら、よく分かりません。ただ、事績を概観しただけでも、彼はもっと知られてもいい人物なのではないか、という思いだけで記事を作りました。

 

今回の記事は、逆です。今回紹介する、私の「精神的英雄」について書かれた記事は、インタビューも含めて数多く存在します。彼についての記憶は、関係者・ファンを含めて、多くの方々の心に刻まれています。それが逆に、客観的な資料なり、研究に繋がっていないな、という印象があります。

 

例えば、Wikipediaの記述にしても(だから?)、断片的で散漫、やや「伝説的な」記述が目立ちます。同時代を共有した人物について「言語化」するのまた、難しいことに改めて気づきました。私は、アベ・フトシ氏のすごさについて、どの程度、言語化できるでしょうか。

 

1 アベ・フトシ略歴(というか、略歴からして既に断片的にしか知らない…)

 

1966年 広島県広島市生まれ。本名、安部太。

    高校卒業後、いくつかのバンドに参加する。

1994年 Thee  Michelle Gun Elephantに加入。

2003年 Thee  Michelle Gun Elephantが解散

    それ以後は、いくつかのプロジェクトやバンドに参加。

2008年 シーナ&ザ・ロケッツの広島公演に、スペシャルゲストとして参加。

    年末、同郷の吉川晃司から請われ、彼が行ったライブに出演。

2009年 死去。享年42歳。

 

2 「唯一無二の」鬼気迫るギタリスト登場

 

私がイメージにあるアベ・フトシ氏は、ご多分に漏れず、Thee  Michelle Gun Elephantのギタリストとしての姿です。まず、身長187cmと、見た目から圧倒されました。てっきり、190cm超えだとばかり思っていました。しかし、それ以上に圧倒的だったのは、そのギタープレイです。

 

私には専門的なことは分かりません(また、これかい)。しかし、間違いなく言えることは、彼のギタープレイがなければ、私の1990年代の記憶は無味乾燥なものになっていたことです。彼のギターは強烈でした。異様だったと言ってもいいです。CDコンポからは、彼の「鬼気迫る」ギタープレイが「見え」ました。聞こえただけでなく、「見えた」んです。日本人ギタリストから、そのような印象を与えられたのは、後にも先にも彼だけでした。間違いなく、彼は、私の胸を熱くした「精神的英雄」の1人です。

 

メジャーデビュー時には、すでに彼のギタープレイはある程度確立されていました。すごかったのは、その後です。その「鬼気迫る」ギタープレイは緩むどころか、鋭さを増していったのです。私個人は、このテンションをどこまで保てるのか、心配になっていました。2003年のThee  Michelle Gun Elephant解散は、やや唐突な発表でした。しかし、私個人は、来る日が来たのかという印象でした。

 

3 突然やって来た「その日」

 

Thee  Michelle Gun Elephant解散後、アベ・フトシ氏は、なかなか自分の居場所を見つけられなかったのかもしれません。晩年は、音楽界を離れて、故郷広島で、塗装工として生計を立てていたという話もあります。2008年のわずかながらの活動は、ファンにとっては、再始動を期待させるものだったでしょう。しかし、皮肉なことに、その年末のライブが、ギタリストとしての最後のライブになるとは、思わなかったでしょうね。

 

2009年7月、アベ・フトシ急死。あまりに早すぎる死でした。

 

関係者、コアなファンを除けば、Thee  Michelle Gun Elephant以外での彼のギタープレイを知らないと思います(吉川晃司氏のライブ映像は、商品化されているらしいですが)。だから、ほとんどの人にとっては、ギタリスト、アベ・フトシを客観的に語るのが難しいのかもしれません。私もそうですが、うまく言語化できなかったり、奥歯にものが挟まったような言い方になってしまうのかもしれません。

 

私は、あと数か月で、彼が亡くなった年齢を超えます。私は、細かい状況は忘れましたが、アベ・フトシ氏急死のニュースを、東横線の旧渋谷駅で知りました。その日の旧渋谷駅の光景は、なぜだかいまだに記憶に残っています。今はただ、私の1990年代に彩りを与えてくれた、アベ・フトシ氏に感謝するしかできません。