Daigo『超戦略ノート術』(Gakken 2021/8):私が五流以下の人間であることをさらけだしてしまいました。

「未」読書ノート。

こういうカテゴリーは、以前から考えていました。

本がたくさん出るのに、ついていけません。

また、意味不明な題名も多いので、それらをまるで読んだかのように一方的に書評チックなものを記そうかなと思っていました。

 

それが、まさかこんな使い方をするとは、思っていませんでした。

私がいかに知性が欠けた、五流以下の人間であることを宣言しなければいけないとは。

先月、私が購入した10冊のうちにありましたよ。彼の本が。

彼のような人物の本を購入してしまうとは、私の知性の低さを表しているとしかいいようがありません。

 

今回の話題について、「未」読書ノートというカテゴリーに即して語りたいと思います。あまり気が進みませんが。

ちなみに、私は、件の発言については、断片的にネットで読んだだけだとは、一応述べておきます。

そのため、私自身の書き込み自体に、ある種の偏見が入っている可能性があることは、否定できません。

 

個人的には、差別「意識」は、誰にでもあると思っています。

社会で生きる以上、ある特定の人びとに対して、何らかのバイアスを持つことは避けられないと思います。

差別「意識」を持つこと自体は、人間であることの宿命ではないかとも思っています。

問題は、「発言」したり「実行」して、表に出すことです。

そして、その結果、何らかの影響を他人に及ぼすことです。

 

回りくどくなりましたが、著者は、そこそこ影響力を持っている人物であり、件の発言は許されるものではありません。

ただ、その道義的問題については、ここでは詳しくは触れません。

私がここで触れたいのは、彼が「知的な」人物であると思ってしまった、自分の見識の低さです。

著者が「知的な」人物であると判断したからこそ、本書を通じて「ノート術」を磨きたいと思ったからです。

著者の書き込みは、はっきり言って、彼の「知性が」決定的に欠けていることを示しています。

そして、私の「知性が」それ以上に低いことも露呈してしまいました。そんな人物が提唱するノート術の本を購入してしまったわけですから。

 

著者の書き込みを、記事を読んだ限りにおいて、以下のように解釈しています。

 

自分は猫の保護の必要性を感じており、生活困窮者支援に税金が使われることは納得ができない。

 

一体なぜ、「猫」を引き合いに出して、生活困窮者支援の不要性を訴える必要があったのか、私には全く分かりません。

この発言がいかに問題あるか、書き込む前に分からなかったことが、私には驚きです。単純に図式化すれば、猫>人間(生活困窮者)と言っているのですから、これは差別意識云々以前の問題です。

 

私には厭世的で人間嫌いの面がありますが、少なくとも猫>人間という考えは持っていません。

 

もっとも、ペットを猫かわいがりする姿を見せつけて、自分の人間性をアピールする人間は嫌いですが。

猫には猫の世界があると思うので、それを人間の都合で捻じ曲げる人間が好きになれません。

私は猫という不可思議な生き物は好きですが、私が猫など生き物を飼うことはないでしょう。

 

脱線しました。繰り返しますが、猫を引き合いに出して、生活困窮者支援を批判する、著者の「発言」の意図が全く理解できません。

そういう発言をすれば炎上するであろうことは、「並の」知性を持っていなくても分かるでしょう。

こんな書き込みをしてしまう時点で、彼の知性が「並以下」であることははっきりします。

そして、そんな彼の本をありがたがって購入した私は、「それ以下の」知性しかない人間であると断言できます。

 

一応付け加えると、私は、猫など動物を支援することそのものには、反対ではありません。

悪質なブリーダーやペットショップ、無責任な飼い主など、人間によって傷つけられた動物もいます。そういう動物に対しては、人間が責任を持って傷が癒えるように支援する必要があると思います。

 

いずれにせよ、本書は、10円でもいいので、ブックオフに売ろうと思います。

他にも欲しい本はいくらでもあったのに、なぜ本書を選択してしまったのか、大変悔やまれます。

自己啓発本だとか、ビジネス書の「目利き」は難しいですね。

著者の評判が定まっていないばあいが多いですからね。

というのは言い訳ですね。結局は、私の「目利き」が論外だったという証でしかありません。

 

ただ、いつも思うんですけど、こういう発言を聞くたびに、そんなに税金の使い道が不満だったら、立候補すればいいだけだと思うんですけどね。

 

 

4人目:アッバース1世(1571~1629)ーイラン人の誇りを取り戻した、苛烈な君主

イラン、サファヴィー朝(1501~1736)の第5代シャー(国王)(位:1587~1629)。内政外交を整え、同王朝の最盛期を演出した。

 

アッバース1世に関しては、英文訳で、唯一だという?本格的な自伝が出ていました。ただ、大著なため、値段が高く、当時(今も)手が出ませんでした。それを未読な以上、多くを語れません。彼の国王としての偉業は、ウィキペディアにお任せするか、彼が建設した王都イスファハーンをご覧いただければ、十分だと思います。

 

あえて、ここで取り上げる理由は、彼が、古代から綿々と続く、ペルシア帝国の栄光を内外に示した「最後の」王であると言えるということです。現在のイラン政府がなぜあんなにかたくななのか、好き勝手に語れるのではないかと考えているからです。

 

1.勝手に、古代ペルシア帝国史を猛スピードで語る

 

アケメネス朝(前550~前330)は、年代的に言えば、中国秦帝国の統一(前247年)よりも古いです。中国ウン千年と言いますが、イラン人からすれば、中国人すら「新参者」という感覚じゃないでしょうか。「歴史で」中国を見下すことができる、唯一の存在がイランなのではないでしょうか(それが意味のあることなのかはともかく)。その後も、パルティア(前248頃~226)、ササン朝226~651)と、大帝国がイラン高原には君臨しました。その栄華?が、突然終わりを告げます。

 

※1については、青木健『ペルシア帝国』(講談社現代新書)で詳述されていると思います。早く読みたいのですが、他にも読みたい本がたくさんあって……。

 

2.イスラーム勢力の支配下に入る

 

642年、ニハーヴァンドの戦いが発生。ササン朝軍は、新興のイスラーム軍にまさかの敗北を喫します。間もなくして、ササン朝は滅亡します(651年)。こうして、イラン高原は、イスラーム勢力の手に落ちます。ここから、イラン人の「ねじれた」歴史意識が始まると言っていいでしょうか。単純すぎる?やっぱりそうかもしれませんが、話を進めます。

 

明らかに格下だと思っていたイスラーム軍、もといアラブ軍に負けたことは、イラン人にとってショックだったでしょうね。イラン人自身は根絶やしにされたわけで当然ないです。イスラム教を受容し、君主はともかくとして、政治家・官僚・文化人として、イラン人は活躍の場を持ちました。それでも、あの栄華を誇ったペルシア帝国の記憶は、隅に追いやられました。

 

※一時的にはペルシア系の王朝も誕生したが、いずれも短命に終わっています。

 

3.東から次々と「侵略者」がやってくる

 

大きく省きますが、イスラム教受容後しばらくは、「比較的」平穏な時代が続きます。実際は、いろんな王朝が興亡し、「平穏」は正確な表現ではありませんが。今度の「侵略者」は、次々と東から襲来します。まずは、トルコ系。いわゆるセルジューク朝が東からやってきます。次に、モンゴル系。チンギス=ハンの子孫の一人、フラグが、イル=ハン国を建国します。その後も、中央アジアからティムールが侵略してくるは、シャイバーン朝は攻めてくると、「民族的には」苦難の時期を迎えます。

 

4.ようやく?サファヴィー朝(1501~1736)まで話が進む

 

そこに現れたのが、若き君主イスマイール1世(位:1501~24)でした。彼は、即位後10年ほどで、イラン高原全土を手中に収めます。彼は、王を意味するシャーを名乗り、ササン朝以来絶えていた、ペルシア帝国の復活を宣言します。しかし、好事魔多し。イスマイール1世は、オスマン朝セリム1世の軍に大敗を喫してしまいます。それ以来、彼から熱は冷め、政治から距離を置くようになりました。建国しばらくして、初代がこの体たらくなので、国家存亡の危機に瀕してしまいます。

 

5.そこに登場したのが、アッバース1世(大王)だったわけで

 

彼はまず内政を整えます。特に、軍事改革を行いました。その結果、目の上のたんこぶだったオスマン朝との抗争を優位に進め、アゼルバイジャン地方を回復します。当方でうるさかったウズベク族の侵入を阻止します。新参者ヨーロッパ勢力との交渉も有利に進めます。ポルトガルからはホルムズ島を奪還し、オランダ・イギリス・フランス各国とも友好関係を結びます。サファヴィー朝というか、ペルシア帝国の威光は、彼の時代に、内外に対して、最後の輝きを見せたと言ってよいかもしれません。

 

6.イスラーム勢力に負けるのも悔しいけど…

 

サファヴィー朝は、彼1代で長持ちした王朝といっていいかもしれません。サファヴィー朝滅亡後、何人かの英雄が現れましたが、長続きしませんでした。いずれにしても、ヨーロッパ勢力という新興勢力には、いいように遊ばれました。イスラーム勢力とは違う異教徒にすら、ほとんど歯が立ちませんでした。またまた、イラン人の歴史認識は、ねじれていくことになります。

 

7.イランとは「中東の中国」である

 

結局、現代のイランまで、話をつなげませんでしたね。そもそも、論拠なしで話を進めていますし、他のとても重要な要素を語っていません。特に、シーア派信仰について触れていないのは、決定的でしょう。ただ、それを語っちゃうと、私の実力では、収拾がつかないので、勘弁してください。

 

いずれにせよ、イラン人は、自分たちの歴史(もちろん、それだけじゃないけど)に誇りを持っています。完全に別物といってもいいんですが、古代ペルシア帝国の末裔であることに誇りを持っています。それは、日本人が考える以上に深いでしょう。どうも、日本人は、イラン人がいかに自らの歴史に強い誇りを持っているのか、知らないところがある気がします。多少学んだ私ですら、この程度しか語れないのが、その証拠だと思います。

 

アッバース1世は、つかの間であるけど、栄光のペルシア帝国を復活させた。そういう意味で、アッバース1世は、現代のイラン共和国につながる基盤を築いた人物だと言えると思います。現在のイラン政府は、「がきんちょ」アメリカや中国がでかい顔をしていることにいらだっている。そういう側面もあるのではないでしょうか。本当かどうかは知らないけど。無責任の極みを報告したところで、本稿の結びとします。

 

 

3人目:渥美清(1928~96)ー「国民的」役柄に巡り合うということ

いつもの通り、人物自身について語る資料を持っていません。もちろん、資料自体がないわけではないですが、それを読み漁る気がありません。別に、嫌いなわけではありません。私自身が、演技というものに、極めて限られた接点しかないためです。

 

さて、渥美清さんです。初めに断っておきますが、私は、『寅さん』シリーズを通してみたことがありません。断片くらいならばありますが。私が通しで見たことがある、渥美さんの演技は、『八つ墓村』で演じた、金田一耕助役くらいです。ただ、この作品に関しては友人に語ったことがあるのですが、渥美清さんより、萩原健一さんや小川真由美さんのイメージが強いです。

 

では、なぜ渥美清さんに関心があるのか、と思われるでしょう。まあ、当然ですね。その理由は、世間が抱く渥美清さんのイメージと、私が一方的に抱いている渥美清さんのイメージに差異があるように感じるからです。

 

世間では、「渥美清さん=寅さん」というイメージが強いと思います。まあ、それは当然ですね。言うなれば、「国民的主人公」ですから。ただ、単純に、役者(に限らないが)渥美清を考えたときに、そのイメージを「寅さん」みたいな人物に限定していいのかなあ、と思います。私個人は、たまに、渥美清さんというか寅さんか…の映像を見ると疑問に思うんですよね。

 

結論から言うと、渥美清さんは、非常に間口の広い、「引き出しの多い」役者ではなかったかと、一方的に思っています。もちろん、寅さん自身も様々な表情を見せる役柄であり、それを演じ分けていらしたと思います。ただ、世間に「寅さん」のイメージが出来上がったときに、そのイメージは、役者渥美清さんの足かせにならなかったのかなあ、と疑問に思います。

 

確かに、「国民的主人公」ともいうべき役柄に巡り合えたことは、この上ない幸福でしょう。しかし、それがのちの活動にとって足かせになってしまったら、どうなんでしょうかね。そこに、私は、関心を抱いてしまうんですよね。渥美清さんは、全く気になさらなかったのか、それとも人知れず苦悩なさっていたのか、勝手に妄想を膨らませてしまっています。あれ?自分、やっぱりおかしいですね。

 

ただ、「歴史上の」人物に限りませんが、世間で言われるイメージと、その人の資質に乖離があると感じると関心が出てきます。それは別に、いわゆる「裏の顔」を暴きたいということではなく、いわゆる世間の「身勝手さ」を嘲笑うとともに、それに振り回される自分自身を嘲笑う行為であります。

 

言い訳しようとすればするほど、泥沼に嵌っていきますね。ただ、話を戻すと、役者渥美清にとって、「寅さん」と出会ったことは幸福だったのかどうか、と疑問に思っています。人生の最終目的が「幸せになること」だとしたら、渥美清さんはそれにヒントをくれそうな人生を送っていらしたと「一方的に」考えています。役者にとって「はまり役」「国民的主人公」に巡り合うことは幸せなのかどうかは、なかなか答えが出ない問題だと思います。

 

私に強引に置き換えると、「天職」なるものがあるとして、それに巡り合えば幸せになれるものなのか、と言ったところでしょうか。

2人目:阿久悠(1937~2007)―感性を磨き、新たな時代を歩む

50音順でいくと、次に語りたいのが、阿久悠先生です。昭和のヒットメーカーである阿久悠先生の作品は、個人的には大変印象深いです。だから、あなたの趣味は古すぎ、と時々からかわれます。大好きなカラオケでも、そこに理解がある人がいないと、ちょっと入れづらいんですよね。

 

とはいっても、阿久悠先生については、私が語るまでもなく、多く語られています。今さら、全く関係のない私がそれらしく語っても、仕方がないと思います。そういう意味では、個人的には、お名前を強調したかっただけです。あえて言うならば、自分のオリジナルとは何か、模索するときに、阿久先生の考え方はヒントになるのではないか、と思います。

 

1.作詞家憲法第1条

 

阿久悠先生は「作詞家憲法」というものを作っていらっしゃいました。その第1条が、ファンの間では有名な「美空ひばりによって完成されたと思える、流行歌の本道とは違う道はないものであろうか」です(違っていたらごめんなさい)。阿久先生は、この一見狭いと思われる道を入り口に、様々な詞世界を生み出しました。その多彩なことは、ウィキペディアでも見てください。

 

言いたいことは、自分の目の前にそびえる「壁」は何なのか、を正確に把握すると、自分が歩むべき道が見やすくなる、ということですかね。もちろん、一心不乱に、自らの力を高める必要はあります。しかし、目の前にそびえる「壁」が何かを見極めると、「効率的に」自分の能力を磨くことができるのではないか、と思います。正直、私は、「効率的」という言葉は嫌いですが、こういう意味ならば、悪くないと思います。

 

阿久悠先生にとって「壁」とは、美空ひばりさんであったということです。一応付け加えておくと、阿久悠先生自身は美空ひばりさんを敬愛しており、敵視など全くしていません。ただ1人の作詞家として仕事に臨んだ時には、美空ひばりさんが体現していた「流行歌の本道」を強く意識せざるを得なかったということなのでしょう。結局、阿久悠先生が、敬愛する美空ひばりさんに直接詞を提供することはありませんでした。

 

2.今度は、阿久悠先生自身が「壁」になってしまう

 

こうして、阿久悠先生は、斬新な詞世界を生み出し、数々のスターを育てました。しかし、それは皮肉なことに、阿久悠先生の詞世界もまた「流行歌の本道」になってしまったことを意味します。それを、「次世代の方々」がどのくらい意識していたのかどうかは、私の知るところではないです。いわゆる「阿久悠」的世界観とは異なる感性を持った作詞家ないしはシンガーソングライターが登場してきます。

 

山口百恵さんは、阿久悠先生が全く関わっていない大スターです。作詞家としては、阿木燿子氏はもちろん、さだまさし氏、谷村新司氏らです。女性という意味では、荒井由実氏、中島みゆき氏らニューミュージックと言われる音楽を体現するシンガーソングライターが台頭します。また、象徴的なのが、沢田研二氏が、コピーライター糸井重里氏と組んでヒット曲『TOKIO』を出したことですかね。

 

先ほどは挙げませんでしたが、松本隆氏の台頭もありますね。1980年代のアイドルブームは、楽曲面では、彼とユーミン(いつ結婚したのか忘れたので、ユーミンと呼んでいます)のコンビが引っ張りました。そこに、挙げていけばキリのない作詞家・作曲家が登場して、しのぎを削っていきます。作詞家阿久悠先生の活動の幅は、急速に狭まっていきました。阿久悠先生が「自分の身の回りのことしか歌わない」シンガーソングライターに対しては、批判的だったことは、ここでは置いておきましょう。

 

3.強引に結論-「歴史を学べ」の本当の意味

 

阿久悠先生を敬愛していると言いながら、何か寂しい文脈の流れになってしまいました。いずれにせよ、阿久悠先生が教えてくれるのは、自らの「壁」を意識して、自分の感性を磨け、ということですかね。

 

私にとっては、これこそ「歴史を学べ」という格言の本当の意味ではないか、と思います。自らの「壁」が生まれた「歴史」を知ることができれば、その「壁」が何なのか、具体的な姿が明らかになると思います。その「壁」すなわち「本道」とは異なった道を見出す感性を、「歴史を学」ぶことから育てることができるのではないでしょうか、と強引に結論づけてみました。もちろん、自分そのものを磨いていないと、その「新しい」道を歩くことはできません。

 

もっとも、自分の感性を磨かず、歴史を学ばない、私が偉そうに言えた義理ではありませんね。それすら無視して、「一方的に」語るのが、本シリーズの意図です。

 

 

1人目:アウラングゼーブ(1618~1707)ー政治家の評価って、何なのでしょうかね?

まずは、50音順で、最初に、彼を選びました。誰?という方々がほとんどでしょう。北インドムガル朝第6代皇帝(位1658~1707)です。それ以外、私も詳しくは知りません。

 

最初からそれかい?という感じかもしれません。いいんです。あくまで、このコーナーは、「歴史上の」人物について、週刊文春的に、あることないこと、事実誤認も気にせず、「非」学術的に、一方的に語るコーナーなので。

 

言い訳はこのくらいにして、本題に行きます。

 

1.アウラングゼーブの個人的な資質について

 

「厳格なイスラームスンナ派の信仰」を持っていた

「アラビア・ペルシア・トルコ諸語に通じ」ていた「高い教養」

イスラーム神学への造詣も深く、一生のうちに数度『コーラン』を筆写」したと言われる

「勇敢・勤勉・質素な生活に終始した」

 

あれ?すごくない?最初の要素はともかく、これだけの資質を持っていた人物なんて、王・皇帝に限っても、古今東西ほとんど見当たりません。はっきり言って、我が国問わず、世界中の政治家に見習わせたいぞ。

 

しかも、彼は、あのクソ暑いインドで、齢90歳近くまで生き抜き大往生。50年近くの治世を全うしました。それならば、さぞや偉大な皇帝なんでしょう⁉と思われるかもしれません。答えを言うと、違います。

 

2.アウラングゼーブの皇帝としての評価

 

治世前半は、「貴族の信頼が厚く」「北インドの経営・国内体制の確立に成果をあげた」

治世中盤は、反乱の発生を機に、デカン(簡単に言うと、南インド)遠征に乗り出し、「ほぼ全インドを支配して帝国の最大領土」をもたらす。しかし、ありがちだが、「うちつづく戦争で財政が悪化」し、長期不在にしていた「北部・中部インドの治安が」乱れた。

治世後半においては、「イスラームシーア派ヒンドゥー教徒」など国内諸勢力の不満が噴出し、皇帝の権威は「地に落ち」、「帝国の弱体化」が急速に進んだ。

彼は、「疲労困憊して」「苦悩のうちに没した」

 

長くなったので少しまとめると、治世前半はうまくいっていたが、治世後半は惨めなものだった、というところですかね。実際、彼の死後、ムガル朝はデリー周辺を抑えるのがやっとという一地方政権になり下がります。皇帝とは名ばかりの存在になります。

 

要するに、アウラングゼーブは、帝国を一気に崩壊させた、はっきり言えば「無能な」皇帝として、世界史教科書には登場します。あれれ?彼は、個人としては「立派な」資質を有していたんじゃなかったっけ?

 

3.アウラングゼーブの失敗の要因

 

その通りです。それについては、次のように説明されます。彼は、確かに信仰心の熱い人物ではあったが、「厳格」すぎた、要は頑固すぎたため、微妙なバランスで成り立っていた国内の「諸勢力との協調」を欠いた、と。それは、間違いではないでしょうね。ただ、私が強調したいのは、そこではありません。

 

4.「立派な」個人=「立派な」統治者、とは限らないという矛盾

 

ようやく本題です。彼は、個人としては「立派すぎる」くらいの資質を持ち、終生その姿勢を崩すことはありませんでした。もちろん、彼は、清廉潔白というわけではありません。その即位からして、病気を理由に父を監禁して帝位を奪い、ライバルだった兄弟を排除していきました。彼の手は、例外なく血にまみれています。ただ、このような帝位争いは、ムガル朝に限らず、洋の東西を問わず見られることです。彼が特別悪人というわけではありません。

 

しかし、その「立派な」個人的資質とは反して、統治者としては「無能」の烙印を押されている。この矛盾ですよね。先ほども述べましたが、アウラングゼーブのような資質を持った人物が現在いたら、かなりの支持を集めると思います。しかし、彼が50年余りの治世で築いたものは、「帝国の瓦解」であったという皮肉。やりきれない思いでいます。

 

5.結びに―アウラングゼーブから学べること

 

①「立派な」為政者=「立派な」個人、ではないこと

 

私は、政治家とか上に立つ人間に対しては、極めて厳しいです。個人的資質を見ている限り、「税金を支払いたい」政治家など、与党野党を問わず、1人もいません。だからと言って、その判断が正しいとは限らない、ということです。

 

政治を回すのに、「個人的資質」はあった方がいいけど、それだけではないということでしょうね。私の性格からして、これからもリーダーたちの行いを揶揄し続けるでしょう。しかし、それは、一面的評価に過ぎないという視点は念頭に置く必要があるでしょうね。人間の集団を動かすのは、かくも複雑怪奇なこと。もはや、業に近いものですね。

 

②「厳格な」「芯のある」「強い」リーダーって必要なのか

 

アウラングゼーブは、「勇敢・勤勉・質素」で当初は「貴族の信頼が厚い」皇帝でした。しかし、「厳格すぎた」ために、しだいに国内の分裂を招いてしまった。このことは、現在にも当てはめることができると思います。

 

洋の東西を問わず、「強い」リーダーが求められています。実際、「強いリーダー像」を体現したようなリーダーが、洋の東西には溢れています。誰とは、あえて言いません。ただ、彼・彼女に熱狂的に従った先にあるものは何か、今一度考える必要があるのではないでしょうか。短期的には最高の気分でしょうが、夢から覚めた時に何が残るのか、アウラングゼーブは示してくれているような気がします。

 

6.付け足しーアウラングゼーブを擁護するならば

 

いきなりですが、インドが、「今現在のインド」であった時期は、長いインド史の中でも、ごくわずかです。インドを初めて統一したのは、イギリスだと言ってもいいかもしれません。それくらい、現在のインドは、「分裂していた」時期しかないんですよね。そういう意味では、ごく短期には終わりましたが、一時的に「現在のインド」領の大半を手に入れたアウラングゼーブ。それは、少なくとも、彼の治世の前半期が成功であったことの証であったと思います。なぜならば、イギリス領インド帝国成立以前に、南北インドを軍事的に手中に収めた君主など、彼以外にはほぼ皆無なのですから。

 

関心がある「歴史上」の人物リスト【ロ】 18人 【ワ】 6人

ロイター(1816~99)独の通信事業家。ロイター通信社を創設。事業を世界中に拡大。

老子(?)中国、春秋末期の思想家。道家の祖とされる。実在が疑われる伝説上の人物。

魯迅(1881~1936)中国民国初期の文学者。帝国主義や旧体制と言論で戦い多方面に業績。

ランディー・ローズ(1956~82)米の音楽家。新たなギターヒーローとして注目。事故死。

フランクリン・ローズヴェルト(1882~1945)米の政治家。大統領。恐慌・大戦に対応。

ロダン(1840~1917)仏の彫刻家。内的生命の躍動を写実性で力強く表現。妻と愛人。

ジョン・ロック(1632~1704)英の哲学者。近代的認識論展開。名誉革命を理論的正当化。

ジョン・ロックフェラー(1839~1937)米の大資本家「石油王」。アメリカ3大財閥の一角。

マイアー・ロートシルト(1744~1812)独の銀行家。ユダヤ系。「ロスチャイルド家」の礎。

ロトチェンコ(1891~1956)露の芸術家。ロシア構成主義の旗手として多方面で活躍。

トゥルーズ・ロートレック(1864~1901)仏の画家。虚弱体質。仏社会を写実的に描いた。

ジャッキー・ロビンソン(1919~72)米の野球選手。有色人種のメジャーリーグ参加に道。

ロベスピエール(1958~94)仏の政治家。仏革命でジャコバン派を率い恐怖政治。処刑。

ロモノーソフ(1711~65)露の化学者・詩人。モスクワ大学長。露文学の芸術性を確立。

ロマン・ロラン(1866~1944)仏の思想家・文学者。戯曲・伝記・小説で自由・反戦擁護。

マリー・ローランサン(1885~1956)仏の画家。淡く抒情的な女性肖像画で有名。

ローリンソン(1810~95)英の軍人・外交官・東洋学者。一連の楔形文字解読に貢献。

ハーバート・ローレンス(1885~1930)英の小説家・詩人。赤裸々描写で人間性回復提示。

 

個人的には、魯迅氏は、もう少し掘り下げてみると面白いのではないかと思っています。ただ、何といっても、この項では、ランディー・ローズ氏。ヘヴィーメタル好きには、外せないギタリストです。ソロになったオジー・オズボーンの初代ギタリストとして、華々しくデビュー。しかし、数年の活動後、突然の飛行機事故死。伝説としか言えない人物です。

 

【ワ】6人

 

オスカー・ワイルド(1854~1900)英の小説家・劇作家・詩人。耽美主義提唱した奇才。

エイミー・ワインハウス(1983~2011)英の音楽家。ハスキーな歌唱と私生活で一世風靡

ジョージ・ワシントン(1732~99)米の政治家。初代大統領。内外で合衆国の基盤を築く。

渡辺崋山(1793~1841)江戸末期の蘭学者文人画家。田原藩家老。蛮社の獄で自刃。

ジェームズ・ワット(1736~1819)英の技術者。蒸気機関改良に成功。産業革命に貢献。

ワリード1世(668頃~715)ウマイヤ朝カリフ。大征服事業。主要官職にアラブ人据える。

 

少ないですが、最後だからと言って、手を抜いたわけではございません。たぶん。

 

ここまでお読みいただいた方々、どうもありがとうございます。この次からは、「関心ある歴史上の人物」について、週刊文春的にあることないこと、勝手に述べるという企画を考えています。ただこちらは、この企画みたいに、過去の原稿のコピペ+αではない、書下ろしになります。時間が足りない場合、尻切れとんぼになる可能性大です。誰も期待してないからいいんですが。

関心がある「歴史上」の人物リスト【ル】 22人 【レ】13人

【ル】22人

 

ルイ9世(1214~70)仏王。内政充実・文化振興でカペー朝全盛期。最後の十字軍を指揮。

ルイ11世(1423~83)仏王。王領拡大・産業奨励・常備軍の拡充を図り中央集権推進。

ルイ14世(1638~1715)仏王。富国強兵に成功も度重なる外征で財政悪化。多くの庶子

ジョルジュ・ルオー(1871~1958)仏の画家。深い宗教的境地を表現した「孤高の」画家。

ジョン・ル・カレ

アーシュラ・ル=グウィン(1929~2018)米の小説家。SF・ファンタジー作家として高名。

ローザ・ルクセンブルク(1870~1919)独の社会主義者ポーランド生まれ。蜂起後虐殺。

ルクリュ(18301905)仏出身の地理学者・アナーキスト

ル=コルビュジエ(1887~1965)仏の建築家。斬新な作品で住宅建築や都市計画で活躍。

イブン・ルシュド(1126~98)アラブの哲学者・医者。イベリア半島で活躍。欧州に影響。

ベーブ・ルース(1895~1948)米の野球選手。野球人気向上に多大な貢献。奔放な私生活。

アンリ・ルソー(1844~1910)仏の画家。税関職員。死後評価を高めた「日曜画家」。

ルソー(1712~78)仏の哲学者。独学で思想を身につけ仏革命に影響を与える。

ルター

ルッジェーロ2世

ルートヴィヒ2世(1845~86)独バイエルン王。ヴァーグナーを庇護。生涯独身。謎の死。

オディロン・ルドン(1840~1916)仏人画家。幻想の世界を描き続けた孤高の画家。

ルノワール(1841~1919)仏の画家。情感溢れた色彩豊かな官能美を追求。旺盛な制作欲。

モーリス・ルブラン(1864~1941)仏の小説家。ルパンシリーズで知られる。

ルーベンス(1577~1640)フランドルの画家・外交官。大工房を経営多くの弟子を育てた。

ルーミー(1207~73)ペルシア文学史上最大の神秘主義詩人。メフレヴィー教団始祖とも。

ガストン・ルルー(1868~1927)仏の小説家。仏推理小説黎明期の人気作家。他分野でも。

 

ローザ・ルクセンブルク。とりあえず、響きだけでカッコいいです。アンリー・ルソー氏。巨匠に祭り上げられた「ド素人画家」。美術の世界における評価って、本当に分かりませんね。あとは、素晴らしい小説家、画家が多いですね。

 

アシュラ・ル=グウィン氏、ルクリュ氏、ルーミー氏については邦訳があるので、なるべく早く直接読みたいですね。

 

【レ】13人

 

黎利(1384/85~1433)ベトナム、後黎朝の創始者。中国、明の支配を排することに成功。

クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)仏の人類学者。現代における「知の巨人」。

レオ10世(1475~1521)ローマ教皇。ロレンツォの次男。学問芸術推進も宗教改革招く。

レオナルド=ダ=ヴィンチ(1452~1519)伊ルネサンス期の人。「万能の人」。仏で没す。

レオ・レオーニ

レザー・ハーン

オーティス・レディング(1941~67)米の歌手。独特の歌唱法でソウルに影響大。事故死。

レーニン(1870~1924)露の革命家。ソビエト連邦の樹立者。反革命勢力に対し赤軍創設。

ジョン・レノン(1940~80)英の音楽家ビートルズ解散後ソロで活躍。殺害。

レマート(1912~)米の社会病理学者。逸脱行動を分類・整序。ラベリング理論に影響。

レントゲン(1845~1923)独の物理学者。「X線」を発見。原子物理学・医学などに功績大。

蓮如(1415~99)室町時代浄土真宗本願寺派の僧侶。勢力拡大に成功。5人の妻。

レンブラント(1606~69)蘭の画家。一時期獲得した名声を、作風深化で逆に失い不幸な晩年。

 

レオ・レオーニ氏。『スイミー』はやはり印象深い絵本ですね。私は、ヨーロッパの思想家では、レヴィ=ストロース氏推しなんですよね。仰っていることは、私の頭では、チンプンカンプンですが。そして、蓮如氏。政治史に限らず、日本史に現れたリーダーの中でも、最も大往生というにふさわしい生涯を送ったのではないか、と思っています。