『ZARD 坂井泉水 心に響くことば』(町田市民文学館ことばらんど) 2021年7月7日(水)

ファン以外には格別話題になっている展覧会ではなかったため、何か特別新しいことを知ることを期待して向かったわけではありません。ただ、友人が先に観に行ったため、やや対抗心を燃やして、観覧することに決めました。大人げないというか、本質的な理由からは外れていますね。

 

会場そのものが狭かったため、2往復しても、30分ほどで鑑賞が終わってしまいました。それでも、不満をあまり感じなかったのは、ZARDの音楽が流れた室内で、坂井泉水さんの直筆原稿などを鑑賞することができたからでしょう。それに触れることができた喜びが大きかったのは、事実です。

 

あえて不満を挙げるならば、作詞家坂井泉水の「ことば」に対する分析が少なかったことでしょうか。正直1ファンとしては、坂井泉水さんの直筆を目の当たりにできただけで満足であり、そんなことはどうでもいいんですがね。ただ、私は、常々、作詞家坂井泉水に正当な評価が与えられていないのではないか、という疑念を抱いています。今回は「文学館」での開催ということもあり、その部分を「わずかに」期待していました。

 

まあ、結果は予想通りでした。坂井泉水さんが、石川啄木氏や中原中也氏を愛読していたらしいことは分かりました。でも、彼ら2人は、文学好きならば、かなりの方々が通過していると思います。そのような中で、坂井泉水さんが、仕事だったとはいえ、なぜ彼らの「ことば」を、自らの作品に昇華できたのかが分かりません。

 

愛読書も展示されていましたが、1冊1冊は、目新しいものではありません。所属事務所社長の長戸氏は、作詞を担当することが決まった坂井泉水さんに、文学作品や芸術作品に触れて、感性を磨くように指示したそうです。そこから推測するに、その時の坂井泉水さんは、まだ文学的・芸術的な蓄えがあまりなかったのだと思います。どういう要素が、1人の歌好きの小娘(失礼!)を、わずかな期間で1人の表現者にしたのか、全く分かりません。

 

理由の一つとしては、情報、さらには資料不足があるのでしょう。もともと、坂井泉水さんは、メディア露出が極端に少ない方でした。それに加え、提供された資料が、これらを検討するにはあまりに少なかったのではないか、と思います。たぶん、できうる限り最大限の展示をしていると、私は解釈したので、不満はあまりなかったわけです。

 

ただ、最大の理由は、個人的には違うと思っています。特にファンの中では、ZARDがまだ「伝説」「歴史」になっていないからではないかと、一方的に思っています。坂井泉水さんは亡くなりましたが、少なくともファンの間ではまだ、ZARDは「現在進行形」の存在なのではないかと、推測しています。それが、冷静な分析を拒む風潮を生み出しているのではないかと、決めつけています。

 

実際、私の中でも、坂井泉水さんは、まだ「生々しい」存在として残っています。会ったこともないし、メディア露出もほとんどしない方だったのに、奇妙な話です。私は、坂井泉水さんのお別れ会には行っていません。そんな私がそうなのだから、あの時参列するくらい熱意があった方々は、なおさらそうだと、推測するんですよね。

 

今回の展覧会では、私にとって、ZARD、そして坂井泉水さんがどんな存在だったのか確認したいなという思いがありました。でも、今回の展覧会では、ますます謎が深まりましたね。たぶん、一生晴れることはないでしょうね。私には、好きなミュージシャンが、国内外問わず、数多くいます。その中でも、ZARDは、特異な位置を占めていくんだろうなと思いました。書籍も2冊買っちゃたし……って、ますます術中に嵌っている?おあとがよろしいようで。