ZARD『永遠 君と僕との間に』(幻冬舎 2019年)

「読書ノート」というカテゴリーを作ろうと思っていました。最初は何にしようか?という考えがあったのですが、本書に決めました。展覧会を観に行ったこともあって、個人的にブームが来ています。何より、「怠惰な私にとっては」新鮮な情報が多かったからです。

 

語りたいことはたくさんあるのですが、いくつかに分けて語りたいと思います。例えば、楽曲に関しては、「私的名曲」的なくくりでお話したいと思います。とりあえずは、本の内容を一部ピックアップする形で語りたいと思います。

 

1.ZARDのコンセプトは「平成に生きる昭和の女」(P117)

 

ほとんどのファンにとっては自明のことだと思います。私も、言われてみれば、なるほどなと頷きます。ただ、このコンセプトを知らなかったため、私はZARDの歌詞を微妙に読み違えていました。詳しくは、楽曲単位で、他の項で語るつもりですが。

 

以下の私の語りにも影響しますが、このコンセプトは、坂井さん、長戸大幸社長以下スタッフの間で、徹底されていたようです。良くも悪くも、ZARDらしくないものは、徹底的に排除していたようです。それが、メディア露出の制限につながっていたそうです(P152)。いずれにせよ、坂井さんは、「ZARD坂井泉水」であることを全うした方なんだと思います。

 

2.ZARDという「プロジェクト」を引っ張る「お姉さん」「姉御肌」(P98)

 

坂井泉水さんの写真としては、愁いを帯びた、うつむき加減の写真が、印象深いのではないかと思います。そこから、坂井泉水さんのイメージは、はかなげな女性というイメージが強かったと思います。実際、長戸社長の弟さんや長戸社長の知人(ZARDファン)は、坂井さんと最初にお会いした時に、そこにいるのが他ならぬ、坂井泉水さんだとは分からなかったそうです(P99)。

 

ただ、私は、たまに耳に入る坂井泉水以前、すなわち蒲池幸子さんの情報と、楽曲から受ける感じから、それだけではないのではないか?と思っていました。それに関しては、私の予想通りでした。本書に語られる坂井さんの実像は、私がイメージしていた坂井泉水さん(蒲池幸子さん?)でした。

 

中学生時代に陸上に打ち込み、スポーツ万能だった。就職しても夢を諦め切れず芸能界に飛び込む。(当初所属していた)事務所が取ってきた仕事に全力で取り込む。また、坂井さんの歌声に隠されているが、楽曲そのものは、どちらかというと隙を感じさせないものでした。

 

これらの、私が得ていた数少ない情報からも、坂井さんが「はかないだけの」女性でないことは明らかでした。よくよく考えれば、ミュージックビデオの坂井さんからは、イメージよりも伸びやかな印象を受けていました。私個人としては、アーティストイメージに必ずしも収まらない、坂井泉水さんが魅力的でした。

 

3.「美しく写っている写真は、デビューしたときから、CDジャケットやプロモーションにはあえて使わず封印していました」(長戸社長 P153)

 

これは、驚きです。「ZARDのイメージに合わないから封印しました」だったら理解できます。それは、2でも述べたとおり、ありうる話だからです。しかし、「美しい」から使わないってどういうこと?と、読んでいて一瞬戸迷いました。「美しい」から使うんじゃないの?そもそも、流布している写真の坂井さんは、充分すぎるほど「美しい」んですけど、それすら凌ぐ「美しい」写真があるって、どんだけええ?

 

失礼しました。長戸社長の弁を再び引用すると、こういうことらしいです。「実物の坂井」さんはきれいすぎたため、「女性にも好かれるように、せめて女性を敵にまわさないように」封印したそうです。「女性を敵にまわす」「美しさ」って、分かるような分からないような。ただ、「実物の坂井」さんが、「写真以上に」美しかったことは、他のスタッフの方々も、証言しています。

 

「実際の坂井さんは顔立ちがはっきりした美形でした」(アートディレクター鈴木謙一氏 P93)

「CDジャケットよりもはるかに美しくて、びっくりしました」(アーティスト・アンド・リレーション小林さゆ里氏 P150)

 

美しさって「諸刃の剣」なんですね。

 

4.坂井泉水逝去後、……、500枚を超える直筆メモがあることがわかった(P238)

 

生前の坂井さんは、「旅行用のキャリーバッグ」でなければ運べないほどの「言葉ノート」を持ち歩いていたそうです(P109)。私たちは、その結晶としての全155曲(だったかな?)を耳にすることができます。ただ、そのことからも推察できますが、世に出ている坂井さんの作品は、坂井さんが紡いでいた言葉の「ほんの一部」であるのでしょう。坂井さんが、一つの作品に、いかに自分のインプットを凝縮していたかがわかります。

 

ただ、そう考えると、「作詞家坂井泉水」は、完全に花開いていたのかな、とも思います。坂井さんが残した作品は素晴らしく、坂井さんの作詞家としての才能の高さを十分に感じさせるものでした。でも、それは、作詞家坂井泉水の「断片」に過ぎないのではないかとも思えます。「作詞家坂井泉水」として本当に花開くのは、まだ先だったのではないかと思います。

 

坂井さんは、もともと文章を書くことは好きだったようです(P102)。長戸社長のアドバイスもあり、様々な文学上・芸術上の名作に触れていき、「スポンジが水を吸い込むように」作詞家として成長していったそうです。ただ、私が思うに、その成長曲線は、長戸社長が思い描いていた以上だったのではないか、と思います。その成長は、亡くなるまで留まることはなかったのではないかと思います。

 

だからこそ、私は、「作詞家坂井泉水」の行きつく先を見たかったな、という思いがあります。本書にはありませんが、B'zの稲葉浩志さんは、坂井さんが亡くなったときに、「まだ表現したいことがあったはず。本人としても悔しいのではないか」という趣旨のコメントを送っていたと記憶します(間違っていたらごめんなさい)。稲葉さんにも、同じアーティストとして、そう感じるものがあったのではないかと、勝手に思い込んでいます。

 

あくまで、勝手な思い込みなのですが、一つの方向性として、演歌歌謡曲に詞を提供するのはどうだったかな、と思っています。なぜならば、「平成に生きる昭和の女」というイメージを最も求めているのが、演歌歌謡曲界だと思うからです。それまで得たノウハウを生かしやすく、作詞家としての幅を広げるには、いいきっかけになったのではないかと、勝手に思い込んでいます。もっとも、「平成に生きる昭和の女」のイメージがより強固になり、逆に活動の幅を狭めてしまう危険性がありますが。

 

5.結びとして

 

だいたい、ここで述べたいことは、語りつくしました。最後に、私と、坂井泉水さんとの唯一の共通点について触れたいと思います。坂井さんは、熱烈な「巨人ファン」だったそうです(P154)。たったそれだけ?それだけです。ただ、読んでいて、勝手にうれしくなりました。本当に、しょうもないです。

 

ただ、そういう意味で、1993年にリリースした『果てしない夢を』は、坂井さんにとっても思い出深かったのではないかと思います。なぜならば、この作品では、長嶋茂雄元監督との共演が実現しているからです。巨人ファンならば、当然うれしかったでしょうね。

 

本書からは、坂井泉水さんが、ZARDの活動に心血を注いでいた姿が浮かび上がってきます。それは、私が思い浮かべていた坂井さんの姿です。ただ、それだけに、ZARD坂井泉水に捉われない、作詞家坂井泉水を見てみたかったという思いもあります。

 

私は、すでに坂井泉水さんが亡くなった年齢を越えてしまいました。亡くなってから14年ですか。早いですね。それでも、いまだにZARDの人気が根強いのは、坂井さんが残した作品が素晴らしいということが、まず大きいと思います。ただそれ以上に、ファンの多くは、永遠に見ることは叶わなくなった坂井さんの「その後の」活動に、それぞれ思いを寄せているからではないでしょうか。坂井泉水さんは、それだけの大きなポテンシャルをまだ秘めていたんだ!ということを再度強調して、結びとしたいと思います。